メディア掲載

朝日新聞

「狂言200 全部鑑賞しよう 高崎で21日 今年14回目、あと10年」


【記事内容】
大蔵流山本家の200もある狂言演目すべてを鑑賞しようと立ち上がった「狂言を観る会」が、今年で14年を迎えた。21日は高崎市高松町の高崎シティギャラリーで、狂言方の山本東次郎さん(74)が「鬼瓦」「二九十八」「米市」を演じる。
「観る会」は本紙群馬版に「郷土ゆかりのほん」を連載中の吉永哲郎さん(75)の高校時代の教え子らで1998年に発足。東次郎さんらがこれまでに84演目を披露した。
吉永さんが狂言を初めて見たのは終戦後間もない中学生の頃。兵舎を改造した公舎で、先代の東次郎さんの演技を見て、心を打たれた。「そのころは日本全体が自信を失っていた。日本の誇りを継承していくことの大切さを感じた」
学生時代に現在の東次郎さんと出会い、交流が始まった。
東次郎さんも、200番をシリーズで上演することを楽しみにしている。「弟子にとっても初めて見る曲もある。人前で初めてやる曲もあり、私にとっても挑戦です」
会の中心のメンバーは10人ほど。代表世話人で高崎市の税理士、市川克弘さん(50)は会に入るまで狂言に触れたことはなかったが、「人間の喜怒哀楽の根源は、今も昔もそれほど変わらない。見ているとおもしろさがわかり、ストンと納得するストーリーも多い」と話す。
200番全てをやり遂げるには、あと10年以上はかかる。チラシ配布や会場の手配などを担うボランティアスタッフの世代交代も課題だ。若い人にも感心を持ってもらおうとPRを続けている。
(2011.10.18掲載 朝日新聞より)

朝日新聞

音楽・映画だけじゃない
「高崎で狂言を」上演すでに49曲

「高崎は音楽や映画だけの町ではありません。古典芸能も見てください。」と、狂言の上演に力を注いでいるグループがある。大蔵流山本家も全面協力し、同家に伝わる狂言200曲すべてを高崎市で上演、鑑賞しようとしている。98年5月から始め、これまでに16回で計49曲を終えた。次回は19日に高崎市高松町の高崎シティギャラリー・コアホールである。
「観る会」元高校教諭・教え子ら
このグループは「狂言を観る会」。現在は高崎経済大学などで国文学を教えている吉永哲郎さん(70)と、高崎高、高崎女子高時代に国語(古典)を習った教え子らが活動している。40代の人たちが中心で、高崎市下和田町の税理士市川克弘さん(45)が世話人代表をしている。
吉永さんにとって、狂言はみずからの「核」と呼べるものだという。戦後間もない中学生時代に、先代の山本東次郎さんの公演を見て、「日本文化とはこんなに素晴らしいものか」と感じ、日本の古典を学ぶきっかけになった。
先生になり前橋女子高に勤務していたころ、体育館のこけら落としに大学の同窓でもある現(4世)山本東次郎さん(63)を招いたことから、東次郎さんと縁ができた。
高崎での上演会は、教え子たちから98年に「高崎市で新しい文化活動をしたい」との相談を受けたのがきっかけ。東次郎さんを紹介したところ、東次郎さんも乗り気となり、一門をあげての200曲のシリーズ上演をすることになった。
半年に1度ずつ、3、4曲ずつ上演している。毎回、東次郎さんやその弟、おいが出演。他では見ることのできない出演陣になっている。上演後、東次郎さんによるお話が好評だ。
運営の中心メンバーは、仕事が忙しくなったりして一部交代しているが、市川さんは「高校を卒業してからも、吉永クラスの団結心を見せています。なんとか200曲をやりとげたい。」と話していた。
19日の曲目は「真奪(しんばい)」「箕被(みかずき)」「犬山伏」。
(2006.5掲載 朝日新聞より)


上毛新聞

■ 視点 ■ 高崎の「第二の泉」に

高崎経済大学非常勤講師 吉永哲郎
世界の喜劇王チャールズ・チャップリンが来日したのは、1932年のことです。5月15日の大相撲観戦から彼の日本探訪が始まり、東京滞在9日目の22日、大蔵流二世、山本東次郎則忠演ずる狂言「鎌倉」を、現在の杉並能楽堂で鑑賞しました。
この時の感想を「まことに好い…とにかくもっとも洗練された芸術だと思います、あの無表情」(朝日新聞)、「ゆるゆるしたテンポとステップ、様式化された動作」(都新聞)に感嘆したと、それぞれ報じられています。この狂言鑑賞は、その後のチャップリンの作品・演出に影響を及ぼしたといわれています。チャップリンが大相撲を観戦したその日が、犬養首相暗殺の5.15事件の当日でした。
狂言大蔵流三世、山本東次郎則重は世阿弥の「幽玄の上階のをかし」を理想とし、第二次大戦後の混乱した昭和22年ごろから、全国の中学高校生を対象に巡演を一人で始め、狂言の普及に尽力しました。
この巡演を私は中学生の時に接しました。砲弾を据える台で作った一坪ほどの朝礼台の上で、羽衣の衣装を示しながら、演じられた三世、東次郎の熱意あふれる姿は忘れることはありません。それは、敗戦によって自信を喪失した日本の若者たちに、日本の伝統文化の素晴らしさを示しながら、生きる勇気を持つようにと懸命に呼びかける姿でした。
さて、チャップリンと三世、山本東次郎のこうした狂言のとらえ方、考え方は、「『万人の心の迷いから犯す万人共通の過ち』の発端とか動機にうかがえる普遍的な人間心理」をとらえて表現するのが狂言であるといわれる現大蔵流四世、東次郎氏が継承されています。
現存する狂言はおよそ二百曲あるといわれていますが、この狂言全曲を東次郎一門の方々に上演していただけたらと考えておりましたところ、日本文化の継承にかかわることができるならと、「狂言を観る会」という若者のグループが高崎にできました。そして、この若者たちの全曲上演の強い意志を、大蔵流四世、山本東次郎氏が快諾され、一門を挙げて取り組んでくださることになりました。
仮に年に2回、三曲ずつの上演で計算しますと、30年以上かかることになります。演者も見る者も生きているうちに上演、鑑賞できるかはわかりません。次世代をも包み込んだ壮大なこの文化活動は、まさに、自分の生き方と狂言の世界とを積極的にかかわらせ、演者と見る者とが創造していく、重厚長大な新しい文化活動です。
この5月19日、第17回「狂言を観る会」が高崎シティギャラリー・コアホールで開かれます。演目は「真奪(しんばい)」「箕被(みかずき)」「犬山伏(いぬやまぶし)」の三曲。群馬交響楽団を高崎の「第一の泉」とすれば、狂言を観る会は「第二の泉」。この泉を枯らしてはならないと思います。
【略歴】
國學院大文学部卒。高崎経済大学の非常勤講師。源氏物語を読む「蘇芳(すおう)の会」主宰。
(2006.5.10上毛新聞「オピニオン21」より)